Tuesday, July 1, 2014

【Race Report】第29回サロマ湖100kmウルトラマラソン前編


「あなたは100キロを一日のうちに走り通したことがあるだろうか?世間の圧倒的多数の人は(あるいは正気を保っている人は、というべきか)、おそらくそのような経験をお持ちにならないはずだ。普通の健常な市民はまずそんな無謀なことはやらない。僕は一度だけある。」
―「もう誰もテーブルを叩かず、誰もコップを投げなかった」『走ることについて語るときに僕の語ること』村上春樹―

 この書き出しではじまるエッセイは村上春樹がウルトラマラソンについて語った唯一のエッセイだ。恐らくサロマ湖100kmウルトラマラソンを走る多くの人が一度は読んだことがあるのではないだろうか。僕もその一人だ。最初にこのエッセイを読んだのはジョギングをはじめたばかりの頃。自分がまさか本当に100キロ走ること(くらい変態になる)になるとはその時には想像だにしていなかった。

 村上春樹がサロマを走ったのは1996年のこと。その頃はまだ今よりももう少し牧歌的な雰囲気が残っていたようで、国道も車はほとんど走らず、牛とサロマ湖と、頭上に広がる大空、そして少しの風だけが物好きなウルトラランナーを迎えてくれていたようだ。今年もそういった牧歌的な雰囲気を夢見ていたのだけれども、当たり前のように1996年の頃より約4倍近く増えたランナー、そしてそのランナー達をサポートするクルー達によって、物理的に大会関係車以外の車が入れないワッカ以外、常に多くのサポート車に抜きつ抜かれつのレースとなった。今回1人で参加した自分としては公式エイド以外で頻繁に冷たいコーラやアイシングやマッサージや食事のサービスを受けるランナーたちが正直羨ましくてしかたなかった。また、トレイルランレースだと100キロの距離だと途中くらいからほぼ一人の世界になるんだけど、今回は最初から最後までずっと多くのランナー(人は変わっていくけど)に囲まれて走ることになってこれも新鮮だった。

 サロマは日本に帰ってきたら一度は走りたかったレースだった。帰国後、キャノンボールUTMFと日本のトレイルランニングレースにことごとく打ち負かされてきた自分にとって実は今回のレースは今後の自分を決める重要な大会でもあったわけです。もし今回またDNF(Did not finish=リタイア)してしまったら本気でしばらく走るのをやめようと思っていました。もともと子どもの頃から走るのが苦手で、走っても足が速いわけでもなく、むしろ中学校のマラソン大会では後ろから数えたほうがはやかったくらいの鈍足ランナーだったのですが、そんな自分でも大人になって走る楽しみを駐在させていただいた先の米国で覚え、それなりの経験を築いてきたと自負していました。そんな自分の僅かばかしの自負を日本のトレイルはあっさりと打ち砕いてくれました。まさに自信喪失。リタイアすることそれ自体よりも怖かったのが、「ゴールしないこと」に慣れてしまうことだった。とりあえずレースには出て、心が折れたらそこでやめればいいやということになってしまえば、ウルトラやトレイルランの大会に出ること自体、自分にとってほとんど意味をなさないことになってしまう。フルマラソンをいくつ完走しても全くその不安は払拭できなかった。これはそういう話じゃない。42.195キロを越えた世界で白黒つけないといけない話だった。僕は何とか自分が陥りかけていた負の連鎖から今回どうしても抜け出したかった。

 誰にもそんなことは言わなかったけど、そんな色んな思いと共に北海道まで100キロを走りにいったわけでした。前日夕方に現地入りする最短コースのツアーに申し込んだ僕は、土曜日の夕方に女満別空港に到着し、同じツアーに参加した他のランナーの人たちとバスに揺られ徐々に赤く夕日に染まっていく北海道の丘陵地帯を横目にホテルに向かった。便利になった時代の代償か、女満別に降り立った時もどうもまだ自分が北海道にいるという事実にピンとこない。羽田空港から2時間弱で到着してしまえるのだから無理もない話かもしれない。どうみても東京ではない北海道な風景を目の前にした現実をまだ受け止められず、バスに酔っているのか、頭が酔っているのかわからないうちにバスはホテルに到着していた。




 夜は近くのスーパーだけに行き、そこで東京から持ってくるのを忘れていたエアーサロンパス(これが後でかなり助けてくれることになる)と2日分のホテルでの食事、そしてレース中の補給物としてクリームパンやリポビタンDなどを買う。買い物袋は1枚3円だった。  部屋に戻るとカーボローディングとばかりに、カツカレーやお寿司など、普段は体重が増えるのを恐れて食べるのを控えていたものばかりをここぞとばかり食す。もしかしたらこの瞬間のために走っているのかもと思えるくらい幸せな瞬間。



 ホテルはゴール地点の北見市にあるため、出発地点に向かうバスに乗るためには1時30分には起きていないといけない。もはや早起きのレベルを超越してただの夜中である。しかし本当に寝ないでいると後で辛くなるのは眼に見えているのでできるだけの用意はしておいて起きてレースウェア着ればすぐに出れるようにして10時前にはベッドについた。



 寝たのか寝てないのか、もしくはその境目にいたのかよく分からないうちにモーニングコールがけたたましく鳴り響き、1時半がやってきた。ホテルでは1時から朝食を用意してくれていて、フロントまでおにぎり弁当を受け取りに行き、ワールドカップ決勝トーナメント、ブラジル対チリをボーッと見ながら単なる夜食といっても過言ではない時間に朝食をいただく。

 2時半の集合時間ちょっと前に行くとすでに1台目のバスは満員のため出発済み。みんなどんだけ早いんだよ・・・と思いながら同じように取り残された数名のランナーの皆さまと、こんな僕達のためにちゃんと用意されていた他のホテル経由で来る2台目のバスを待ち、スタート地点の湧別町に向かう。驚いたのが北海道の夜明けの早さ。まだ2時半過ぎなのにすでにうっすらと夜が明け始めている。緯度の関係かな?などと思っているうちにバスの中でいつの間にか寝てしまい、目が覚めると完全に朝になっていた。そこはスタート地点の湧別総合体育館。レース直前にも関わらずいまだ精神は高ぶらず。おそらくまだ自分で自分のことを疑いにかかっていて、変に調子に乗って後で痛い目を見ることが怖かったからだと思う。



 スタート地点には↑のような記念碑もあり、このレースが単なるレースではなく、町を形作るひとつの要素になっていることにあらためて気づかされた。朝4時だというのにすでに真昼間のような熱気。10回完走するともらえる青い称号、サロマンブルーのbibを付けている方々もそこかしこにおり、どことなく風格さえ感じられた。いつか自分のあの栄光の青色ゼッケンをつける日が来るのだろうか。



 サロマの面白いところは公式サイトなどには一切書かれていないんですが 30km、65km、80kmの3箇所にスペシャルドリンクが置けること。後、55kmのレストステーションにドロップバックが置けること(これは書かれてあった)。スペシャルドリンクと言っても何を置くべきかピンとこなかったのでとりあえず、経口補水液 オーエスワン(OS-1)にオレンジジュースとハチミツにレモン汁を混ぜた物にしてみた。どれもこれも多分脱水症状に近い身体にはいいだろうというものの詰合せ。これ、飲んでみると分かるのですが正直美味しいとは言い難い微妙な味です(笑)。でも自分にはそれなりに効果はあったと思います。オレンジジュースの割合を増やせばもっと口当たりがよくなったかもしれません。またせっかく置いておけるのだから、とジェルやアミノバイタル VESPA HYPER ベスパハイパーをガムテープでくくりつけることにしました。これは必要最小限で走れるのでオススメです。さらに4000本のスペシャルドリンクから選び出さないといけないということで目立つように子どもの写真などを貼りつけました(分かりやすくてこれはこれで良かったのですが反面捨てるにしのびなく、次回からは写真はやめようと思いました(笑))。



 準備が全て終わりトイレも済ませてスタートラインへ。空は雲ひとつないくらいの晴天。村上春樹のエッセイでは朝は冷えて手袋も欠かせないとあったが少なくとも今年は最初から真夏仕様のウェアリングで全く問題ないくらいの気温の高さ。つまり今日はこれから気温は上がることはあっても下がることはない真夏のレースになるということを意味していた。アナウンスでは「今日の最高気温は25℃です。」と言っていたのでまだ少し安心はしたのだけど、蓋をあけてみれば最高気温は29℃と、ここ数年のサロマでも最もコンディション的に厳しいものになったようだ。でもそれは何回も参加している人の話で、そもそも今回が初サロマの自分にとってはそういうものか、と割り切るしかできなかった。周りの喧騒、興奮をよそに、まだどうもレースに向けて盛り上がりに欠けて盛り上がれず一人スタート地点に佇んでいた。これがフルマラソなどの距離のレースなら致命的だったかもしれないけど、100キロ13時間という長丁場のレースであればそれくらいが丁度良かったのかもしれない。これも後になって分かる話だけど、最も自分の中で盛り上がったのは80キロを過ぎたあたりから。どんだけエンジンかかるの遅いんだよ、という話になりますが、今振り返って気づいたことがあります。キャノンボールやUTMFでリタイアしたのはちょうど80キロに行くかいかないかの距離。どうやら自分の中でのスイッチが入る距離は人よりも少し?遅い80キロらしい。今までのDNFはそのスイッチが入る直前に走るのを止めたことになる。辛くてもそこを超えれば何とかなる。このことに気付けただけでも遠く北海道まで来たかいがあったのではないかと思っています。実際は100キロの中では何度もアップダウンの波に襲われるのですがそれをどう自分なりに乗り越えたかは後編で書きます。って全然大したことではないですが(笑)。



そして5時ちょうどにレースが始まった。辛くて長くて暑く、そして今までとこれからの自分とじっくり向き合うことができた長い長い1日の始まり。
それがもう二度と来ることのないたった一度の2014年6月29日の始まりだった。(後編に続く)


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